高校時代の本音と建前観

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10代後半の頃本音と建前の

建前を如何にきれいに演出できるかが処世術だと考えていた。

高校時代部活の後輩が顧問の教員に対して偉い立腹してた時があった。

彼をなだめる時に

「まともに相手にしたらあかん、礼儀という建前を守っている限り必要以上に付け込まれずにすむから」

などという事を言っていた記憶がある。

大人には大人が望む子供像を演じていればよい。

「すいません。以後気を付けます」大抵は頭の硬い教員はこれでやりすごせる。

間違っても感情をストレートにぶつけるような愚策はするべきではない。

後輩に対してはそこまでしか言っていないが

実は僕の中ではそれは怒りのような負の感情だけの話では無かった。

好きであるとか嬉しいという感情も同様にストレートに出す事は愚策だと考えていた。

家では勉強をせず部屋でマンガを読んでいたら漫画を破かれ

ゲームをしていたらゲームのコントローラーの配線を引きちぎられた。

親は勉強をさせる為にはそれ以外の行動の選択肢を取り上げればよいと思っていた節がある。

勿論、純粋な罰としての行為でもあったろう。

そう、なので自分の大切な物はそれ即ち弱みであった。

自分の好きな物というのはなるべく隠しておくべき物であった。

昔のギャグマンガの主人公のようにかわい子ちゃんがいたら、よだれを垂らして喜ぶというような行いは最も戒めるべき行動であった。

好きな物を貶されるのは苦痛であった。

好きな物を貶されるというのは自分のアイデンティティを貶されているように傷付いた。

それは相手が自分を攻撃するが為に僕の好きな物を貶めている様な感じがした。

なので好きな物である程心に秘めておくものである。

大上段な言い方をすればそれこそが漢の生き方でもあるとすら思っていたのだろう。

(今風に言えばツンデレなのかも知れないが幸か不幸かデレる機会は訪れる事はなかった。)

そして逆に好きな事を大手を振って行うには大義名分が必要であった。

少なくとも大義名分が必要であると思っていた。

大義名分だとか御大層な事を言ってはいるが、詰まるところ理由が、言い訳が欲しかったという事だ。

高校は情報処理技術科という科で入試を受けた。

中学時代どうしてもパソコンを買って欲しかった。

実の処どうしてもだったのかどうかは今となっては覚えていないけれど

高校で情報処理技術科に入ればパソコンが無ければ勉強についていけない事になる。

親にパソコンをねだる理由としてはまずまずの物だった

結果、入学祝にNECのPC9801RAを買ってもらったので大義名分という建前に味をしめるには十分だった。

情報処理技術科に入って言うのもなんだが、いつしか漫画家になりたいと言うようになっていた。

今となっては、もしかするとただ単に漫画を破かれない生活が欲しかったからなのでは?などと漫画家ではない現在の自分は邪推してしまうがそこは考えても仕方がないw

ここまでの話をまとめると

「学生時代は建前を処世術とし本音という物は隠すべき弱点であるみたいな考えを持っていた」

うん、今から比べると中々いけ好かない少年だったのなw

今の僕は自分で言うのもなんだけど、中々のいい人になってると思う。

あとがき的な話。

本当はこれが前振り的な話で

後に「本音と建前とはどのような物か」という考察を本題として話したかったんだけども

昔、本音に対する建前の自己防衛こそが正義みたいな時代があったなぁって思いながら懐かしく書き出したらここまで長くなってしまったw

このブログ自体思考のメモ帳的な意図で作ったので、これはこれでいいかなと思ってるんだけど、実はTwitterで呟こうかなって思って書きかけたら140文字に全然足りねぇって事になったのですよwいや、まったく足りてねぇから(;・∀・)ノ

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