「世界は贈与でできている」要約

1章What Money Can`t Buy「お金で買えない物の正体」
貰った物しか与えられない。
与えられた不当な(と思う)贈与に対する負い目が次の贈与につながる。
それが無ければ世界に対して何も感謝をする事なく贈与を行う事即ち自己犠牲になるのでそれは悲劇である。もしくは偽善である。
よって贈与は受け取る事から始まる。

2章ギブ&テイクの限界点
ビジネスパートナーはある意味ドライな関係。
WinWinやギブ&テイクというマインドでは
与えられる物が無くなったと思った時
そのゲームは終わる。
お金での強制力はモラルとのバーター関係。
金で消防士の誇りや義務感は買えない。

3章贈与が「呪い」になるとき
強い返報性は呪いとなる。
「贈与です」と言ってしまえば
(御礼はいらないよと、社会通念的には礼は必要だよの)ダブルバインドとなり贈与は終わる。
でも気付かない贈与は贈与ではないので
後で気づく贈与が良い。
という事は贈与とは受取人の想像力に依存する事になる。

4章サンタクロースの正体
後で気づく贈与が良いという事は
贈与は差出人にとっては未来にある
と同時に受取人にとっては過去にある。
親からのプレゼントの押しつけがましさを無くす存在が
サンタクロースであり
子供がサンタの存在を信じなくなった時
親は贈与を与えた事になり
子は過去に受け取っていたことに気付く。
贈与はタイミング気付かれるタイミングをずらさなければ呪いとなる。
平たく言ったら押しつけがましいんじゃ!って事。
なので不合理性の中に愛が見いだされる訳で
贈与は受け取る側の知性から始まる。
(サンタの話とは別に「16時の徘徊」という感動話で例えられています。)

4章までと5章以降の流れ。
実は4章までがこの本のメインエッセンスで
5章からは深掘り解説章。
特に5章6章は分析の為の前提思想の説明。
という訳でこの章からは少し毛色がかわります。
特に後半になるにつれ物語の例えがメインになっていき
読むのに時間がかかる代わりに
心をうつ構成にはなっている。

5章僕らは言語ゲームを生きている
この章言語ゲームについての説明です。
辞書を引くと例えば
「複雑→入り組むこと→絡み合うこと→複雑なこと」
などと意味の定義が循環する事がある。
そのような辞書の中のメリーゴーランドに乗るには先にある程度言葉を理解する必要がある。
(なので言語を教えるとは説明ではなく訓練である。)
言語ゲームとは言語でコミュニケーションがとれるかであって
言葉の意味を理解しているかではない。
(それを知るのは不可能)
一つの言語ゲームに閉じ込められると他者の言語がわからなくなる時がある。
言語ゲームとは他者と共に作るゲームであるともいえる。

6章「常識を疑え」を疑え
ここでいう常識とは「皆が知っている知識」の事では無くて
それを否定すると言語ゲームの全体が危機に陥るような言語ゲームの基盤の事。
例えば「3+5=8」が絶対確実なのは人類全体の共通作業の可決としの「世界像」を常識とする。(求心的思考)
疑いのゲームは既に確実性を前提にしている。
その上で「アノマリー」とは(科学的)常識に照らし合わせた時
うまく説明のつかない物。
パラダイムという「地」があって初めてアノマリーが「図」として現れる。
常識があるから常識の逸脱に気付ける。

7章世界と出会い直すための「逸脱的思考」
SFにはその力がある。
テルマエロマエをSFとするならば
ルシウスから見た現代のトイレやお風呂には
常識外の技術に見える訳で
ルシウスの驚きは
世界と出会い直す事で多くの与えられていた物に気付くストーリー。
ルシウスを通して常識と化してしまった贈与を受け取る事ができる。

8章アンサング・ヒーローが支える日常
当たり前と思える事を支えてくれる人がいる。
それに気づいた人がアンサング・ヒーローからの贈与を受け取る事ができ
再び社会を支える主体となれる。

9章贈与のメッセンジャー
「月が綺麗ですね」はシェアせずにいられない
月の美しさを共有の物にしたいという思い。
与えられたものを一つづつ調べ数えていく事をしたのがルシウス。
贈与とは市場経済のアノマリーとして現れる。
贈与は市場経済の外側ではなく隙間にたくさんうめていくもの。
だから贈与と交換はマッシュアップできる。
届かない可能性を前提とする。
差出人の祈りなき贈与は交換となり
受取人の想像力なき贈与は気付かれず零れ落ちる。
交換を不等価にする。
贈与できぬ受取人も受け取った時点で既に贈与している。
その意味では贈与は与え合うではなく受取り合うもの。
教養とは誤配に気付く事。そしてそこから贈与が続く。

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